20240422 いつまで自動反応で生きるのか。

数年前までは劣等感すら抱えていたのだが、このところはみそぎ払いも済んでやっとつっかえることなく前に進んでいる。

 

だいぶ洗脳されていたのだなと感じる。

 

 

いまだにケージの中で狛鼠のように歯車をくるくる回している人もいる。

 

ハムスターが回転輪を回すのは餌を探すためだという。必死で餌を探すために走り回っているのだそうだ。そういう人は何一つ疑問を持たず死んでいく。

 

既存の集団の中に入っていって、餌にありつくためにあの手この手で工夫したものがうまくいった結果に至るとそれを繰り返し行い、やがて定着し、はじめの動機を忘れて適切でない場面でも自動的に反応する。

 

原家族の中で自分の居場所がない、と感じて育つと、自分自身への安心感が希薄だ。帰属意識は人一倍強くなり、「社会」の中で自分の存在を誇示することに執着する。そして嫌われる。

 

表面的なお世辞と安定して培った人間関係の愛着の区別がつかない。自分のことを愛して欲しい人との間に信頼関係が育つところまで経験していないから。例えば過疎化した田舎で育った女性が母親にネグレクトされて育ったとする。

(なぜ母親にネグレクトされるのか?

母方の家系ではなく父方の家系の肉体意識に宿っているから。

動物の生存本能の一つの側面として、優勢な遺伝子を残したい、自分の家系ではない家系を淘汰したい潜在意識レベルの本能がある。

あるいは母方の家系の誰かの生まれ変わりだとしても、代々ネグレクトする家系である可能性がある。その場合、どこかで流れを変える人が現れる。)過疎化しているので、外界との接点が薄く、選択肢のバリエーションが少ない。寒い地域では大体男尊女卑の文明なので、女性は男性に媚びた方が餌にありつける、という生存戦略を持つ。この女性が母方の誰かの生まれ変わりではなく、父方の家系のラインから転生している場合、母親からの愛着がいまひとつ薄い、というのは否めない。すると、幼い子供は生き延びるのに必死なので、お父さんに可愛がられた方が生存に有利だと判断する。そして、もともと自分を愛してくれなさそうな母親に見切りをつけて男親に懐く。しかし、自分が切り捨てた母の存在を本当は強烈に求めている。もしそちらから歩み寄ってくれたのなら受け入れてやってもいい、どこかにそういう気持ちがある。